そうや自然学校行事予定
 
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9月16日(日)


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藤井地区の奥にひっそりと建つ、大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)の例大祭に行ってきました。
実はこの神社、町史に掲載されていないので藤井地区以外にお住まいの方には、あまり知られていません。


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祝詞を読むのは部落の方。
現在では藤井の奥地の山の下にあるこの神社は、昭和9年、秋田県と千葉県からの開拓者総勢12戸が、心のよりどころとして山の上に創設しました。
祭神は大山祇神(オオヤマツミノカミ)という山の神です。
山子を生業としている方が多かったようなので、山での安全を祈願したのでしょう。
当時この12戸が住んでいた藤井の奥地を“千秋(せんしゅう)”部落と呼びました。千秋の字は彼らの故郷である千葉県と秋田県の頭文字をそれぞれとっています。


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岩でできたご神体。
昭和17年、当時の小学校の先生に書いてもらった文字を彫ったそうです。


山の上に神社があった頃は、こんな立派な鳥居や社など何もなく、地域のお年寄り曰く“文字を彫った棒きれ”が立っていただけだそうです。
民間信仰における神社というのはもともと“神聖な場”(山そのもの等)を指していて、今でいう社務所とか本殿とかは後付けなので、“山の中に立てた棒きれ”が神社だったというのは、単なる参拝場所の目印というのが当初の意味合いだったのではないでしょうか。(あくまで私の推測ですが・・・)


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時が経ち、平成14年、大山祇神社は山の上から現在の場所に移設されました。
部落の過疎化、高齢化などにより、神社の場所が山の上では管理しきれなくなってきたからです。
開拓者が山の神を祀り、心のよりどころとしてきた歴史・文化を絶やさないための決断でした。
木製の鳥居やお社など、すべて地域の方の手作りです。
そして平成16年から、初詣や神社祭といった祭事が復活し、8年経った今年も続いています。


≪おまけ≫
広報なかとんべつS59.1
昭和59年の広報なかとんべつ1月号に掲載されていた、中頓別営林署の山神祭(12月9日)の様子です。
詳しい場所については触れられていないので何とも言えませんが、大山祇神に山仕事の安全とよりよい収穫を祈願したと書かれているので、もしかしたら千秋部落の山の上の大山祇神社で行われたのかもしれませんね。

(あやのん)

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