そうや自然学校行事予定
 
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4月17日(日)のち


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町民講座なかとんべつ学「砂金に学ぶ」が中頓別町役場で開催されました。
砂金採掘時代を知る町の古老のお話しを、拝聴してきました。


中頓別町に初めて砂金掘りが入ったのは明治時代。
「角田の沢」(兵安)で採り始めたのが最初だそうです。
中頓別では、露天掘りではなく坑道を掘って金を採っていたとのこと。
レールを引いてトロッコを押していたというから、かなりの量が採れていたのでしょうね。
当時の採掘現場は子どもの遊び場にもなっていたそうで、遊んでいると作業の手伝いに駆り出されることも多かったそうです。町から現場まで、弁当運びのアルバイトをしている子どももいたとか。


また、砂金掘りの一日についてもお聴きしました。


<砂金掘りの一日>
 一日目:一か月分の味噌と米を運ぶ
 二日目:布団を運び、屋根を作る
 三日目:その他必需品を取りに行く
  ↓
 一ヶ月間、山に籠もる


物を現場へ運び入れるだけでも、大変な重労働ですね。しかも、砂金掘りは(最盛期の頃はともかく)ほとんど採算が合わなかったそうです。米一俵すら買えず、味噌や醤油と引き替えるのが精一杯だったとか。
そのため、国からの補助金が無くなると同時に、砂金掘りたちもいなくなってしまったそうです。


また、こんな面白エピソードもあります。
採掘現場へ行く作業員の中には、毎日わらじを取り替える人がいたそうです。
ただでさえ採算の合わない砂金掘りの仕事。わらじだって節約して毎日同じものを履きそうなものです。
それなのに、なぜ毎日わらじを取り替えていたのかというと・・・。


わらじの裏に砂金がくっついているからだったのです!

現場へ履いていったわらじを焼くと、あとには砂金の粒が残ったそうで、毎日わらじを取り替えることで少しずつ砂金を手元に貯めていたのですね。


このほかにも、今でも砂金が採れそうな場所のお話しなどもありましたが、これは秘密ということで!
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